
退職届と退職願の違い|撤回はできる?受理の実務をやさしく整理
「お話ししたいことがあるんですが」。 そう呼び止められて、封筒を差し出された瞬間のことを、覚えている方は多いと思います。予感はあったかもしれないし、まったくの不意打ちだったかもしれない。どちらにしても、受け取った手はそのままで、頭の中ではもう別のことが動き始めます——これ、退職届でいいんだっけ。退職願だと何か違うんだったか。日付はいつになる。「やっぱり撤回したい」と言われたら、どうすればいいんだろう。
そして厄介なことに、この二つの書面は見た目がよく似ています。表題が一字違うだけ。でも、法律上の意味と、そのあとの「撤回できるかどうか」は、はっきり分かれます。ここを知らないまま「はい、お預かりします」と言ってしまうと、あとで判断に困る場面が出てきます。逆に、分かれ道さえ押さえておけば、その場で慌てずに受け止められます。一緒に順番に整理していきましょう。
結論:二つの書面は、法律上の意味が違います。①退職願は「辞めさせてください」という合意による解約の申込みです。会社が承諾してはじめて退職が決まるので、会社の承諾が本人に伝わる前なら、本人は撤回できると考えられています。②退職届は「辞めます」という本人からの一方的な解約(辞職)の意思表示として扱われることが多く、会社に届いた時点で効力が生じ、原則として撤回できません。③ただし、実際の扱いは表題の文字ではなく、書面の内容と、そのときのやりとりの状況で判断されます。「退職願」という表題でも辞職の意思表示と見られることも、その逆もあります。④期間の定めのない雇用なら、申入れの日から2週間が経てば労働契約は終了します(民法627条1項)。就業規則に「1か月前までに」と定めていても、それは社内のルールとして尊重をお願いするもので、2週間の効力を打ち消すものではないと考えられています。⑤会社としてやることは、受け取った日を記録する/承諾するかどうかを決める権限者を決めておく/退職日を書面で確定して本人に返す。この3つです。
進めるときは、この順番だと迷いにくくなります。
- 書面を受け取ったら、日付と受領者を記録する(撤回できる期間の起点になります)
- 表題ではなく中身を読む——「お願いします」なのか「辞めます」なのかを確かめる
- 退職日を確定して、書面で本人に返す(合意退職なら、ここが承諾になります)
何が起きているか:似た二枚の紙が、別のしくみで動いている

まず、言葉の意味からそろえておきます。
退職願=「合意で辞めさせてください」という申込み
退職願は、会社に対して「労働契約を合意で終わりにしてほしい」とお願いする書面です。法律の言葉では合意解約の申込みにあたります。
申込みなので、それだけでは退職は決まりません。会社が「わかりました」と承諾して、はじめて合意が成立します。つまり、キャッチボールでいえばボールはまだ空中にあり、会社が受け止めるまでは決着していない状態です。
だからこそ、会社の承諾が本人に伝わる前であれば、本人は申込みを撤回できると考えられています。「一晩考えて、やっぱり続けたい」と言われる余地が残っているのは、このためです。
退職届=「辞めます」という一方的な意思表示
退職届は、本人が「労働契約を解約します」と会社に伝える書面です。相手の承諾を必要としない、一方的な意思表示(辞職)として扱われることが多くなります。
一方的な意思表示は、相手に到達した時点で効力が生じるのが原則です(民法97条1項)。到達してしまえば、本人の都合だけで引っ込めることは原則できません。撤回するには、会社が「なかったことにしていいですよ」と合意してくれる必要があります。
大事なのは「表題」より「中身と状況」
ここが実務でいちばん誤解されやすいところなので、はっきり書いておきます。
「退職願」と書いてあるから必ず合意解約の申込み、「退職届」と書いてあるから必ず辞職、と機械的に決まるわけではありません。 書面の文言、本人の言い方、そのときの会社とのやりとりを総合して判断されます。
- 表題は「退職願」でも、本文が「◯月◯日をもって退職いたします」と言い切っていれば、辞職の意思表示と見られることがあります
- 表題は「退職届」でも、本文が「退職いたしたく、お願い申し上げます」となっていて、実際に上司と日程を相談していたなら、合意解約の申込みと見られることがあります
つまり、受け取った紙をそのまま分類しようとしないこと。中身を読み、「これは相談なのか、通告なのか」を確かめるほうが確実です。判断に迷うときは、次に書く「聞き方」でそのまま確認できます。
「辞表」はまた少し違う言葉
ときどき出てくる辞表は、もともと役員や公務員が役職を辞するときに使う言葉です。従業員が労働契約を終わらせるときの書面としては、退職願・退職届を使うのが一般的です。とはいえ、本人が「辞表」と書いて持ってきたからといって無効になるわけではありません。ここでも見るのは中身です。
具体例:現場でよくある3つの場面
言葉の整理だけでは動きにくいので、実際にありそうな場面で追いかけてみます。
ケース1:退職願を受け取った翌日に「撤回したい」と言われた
8月10日に「一身上の都合により退職いたしたく、お願い申し上げます」という退職願を受け取りました。まだ社長にも伝えておらず、会社としての返事はしていません。翌8月11日、本人から「昨日は感情的になっていました。撤回させてください」と申し出がありました。
この場合、会社の承諾がまだ本人に伝わっていないので、撤回を認めるのが原則の考え方になります。合意解約の申込みは、承諾の意思表示が到達するまでは撤回できると解されているためです。
ここで気をつけたいのが、「誰が承諾したことになるのか」という点。過去の裁判例では、人事について決定する権限を持つ立場の人(人事部長など)が退職願を受け取ってその場で承認した時点で、会社としての承諾があったと判断されたものがあります。つまり、現場の上司が「わかった」と言っただけなのか、決裁権のある人が承認したのかで、結論が変わり得るということです。
小さな会社ほど、この線引きがあいまいになりがちです。「退職の承諾は誰が行うか」を先に決めておくと、こういう場面で迷わずにすみます。
ケース2:退職届を受け取ったあとに「やっぱり残りたい」と言われた
「◯月◯日をもって退職します」と言い切った退職届が、8月10日に会社に届きました。8月11日に本人から撤回の申し出がありました。
この場合は、到達した時点で効力が生じているため、本人の一存では撤回できないのが原則です。
ただし、会社が「わかりました、なかったことにしましょう」と応じれば、退職の効力を消すことはできます。法律上撤回できないことと、会社が受け入れてはいけないことは別の話です。人手が足りない中で、続けてくれるならそのほうがいい——そういう判断はもちろんあり得ます。
その場合は、口約束で終わらせず、「◯月◯日付の退職の申し出は撤回され、雇用契約は継続する」ことを書面かメールで残しておくと、あとでお互いに困りません。
ケース3:就業規則には「1か月前まで」と書いてあるのに、2週間後の日付で出された
就業規則に「退職しようとする者は、退職日の1か月前までに退職願を提出しなければならない」と定めているのに、届いた書面の退職日は2週間後——これも、よく相談される場面です。
期間の定めのない雇用(正社員など)の場合、民法627条1項により、解約の申入れから2週間が経過すれば労働契約は終了します。就業規則の「1か月前まで」という定めは、引き継ぎのために社内で協力をお願いするルールであり、この2週間の効力そのものを打ち消すものではないと考えられています。
補足:以前は「月給制の場合は当月前半に申し入れないと翌月末まで辞められない」という民法627条2項の定めが、労働者側にも及ぶのかが議論されていました。この規定は民法改正(2020年4月1日施行)で使用者からの解約の申入れについての定めとして整理されたため、労働者からの退職については、原則どおり1項の2週間で考えることになります。
だからといって、「規則違反だ」と責めるのは得策ではありません。実務としては、規則の趣旨(引き継ぎに時間がほしい)を伝えたうえで、退職日を相談するのが現実的です。
就業規則では1か月前までにお願いしていて、引き継ぎの都合もあるので、できれば◯月◯日まで在籍していただけると助かります。難しければ、引き継ぎ資料の範囲を一緒に決めさせてください。
なお、契約期間の定めがある有期契約の場合は考え方が変わります。原則として期間の途中で一方的に退職することはできず、やむを得ない事由があるときに解約できるとされています(民法628条)。ただし、契約期間が1年を超える有期契約については、契約の初日から1年を経過した日以後はいつでも退職できるという定めがあります(労働基準法137条。専門的な知識等を有する労働者や満60歳以上の労働者など、一部は対象外)。有期契約まわりは「有期契約の更新・雇止め・無期転換ルール」でも整理しています。
影響:受理・承諾・退職日の確定で、あとの手続きが決まる
書面をどう受け止めたかは、そのあとの手続き全部に響きます。ここは丁寧に見ておきます。
「受理」という言葉には、法律上の決まった意味はない
現場では「受理しました」という言い方をよく使いますが、この言葉自体に法的な定義があるわけではありません。大事なのは、それが「預かっただけ」なのか「会社として承諾した」のかです。
その場で判断できないときは、こう伝えておけば十分です。
お預かりします。退職日については、社内で確認のうえ、あらためてご連絡させてください。
この一言があるだけで、「その場で承諾した」と受け取られるリスクを減らせます。逆に、続けてほしい気持ちから「わかった、考え直してほしい」とだけ返して曖昧にしておくと、退職日が決まらないまま日が過ぎてしまいます。預かったのか、承諾したのかを、はっきりさせる。ここが実務のポイントです。
承諾する人を決めておく
ケース1で見たとおり、誰の「わかりました」が会社の承諾になるのかは、撤回できるかどうかを左右します。
社長ひとり、労務担当ひとり、という会社であれば「最終的な承諾は社長が行う」と決めておけばよいですし、部門長がいる会社なら「部門長は受け取るところまで、承諾は◯◯が行う」と社内で共有しておきます。就業規則や社内ルールに一行入れておくのも有効です(記載事項の整理は「就業規則の絶対的記載事項」を参考にしてください)。
退職日を書面で確定して、本人に返す
口頭のやりとりだけで進むと、「◯日までのつもりだった」という食い違いが起きます。退職日が決まったら、書面かメールで本人に返すのが確実です。難しい文面である必要はありません。
◯◯さん
◯月◯日にお預かりした退職の申し出について、社内で確認いたしました。退職日は◯年◯月◯日といたします。
最終出勤日は◯月◯日、以降は年次有給休暇の取得を予定しています。貸与品の返却、引き継ぎの進め方については別途ご案内します。
この一通があると、資格喪失の手続き、離職票、源泉徴収票、住民税の切り替えといった一連の段取りが、迷いなく動き出します。退職後の手続きの全体像は「退職手続きの流れ|離職票・資格喪失・源泉徴収票の段取り」にまとめてあります。
有給休暇の残日数を、早めに確認しておく
退職日が決まると、次に必ず出てくるのが「残っている有給をどうするか」という話です。退職時の年次有給休暇は、時季変更権(会社が取得日をずらしてもらう権利)を使いにくい場面です。ずらす先の労働日がもう残っていないためです。
残日数は早めに出しておきましょう。「年次有給休暇の付与日数 計算機」で確認できます。繰越や買取の考え方は「有給休暇の繰越・時効・買取」に整理しています。
「書かせる」「取り消させない」は避ける
ときどき相談を受けるのが、退職の意思をめぐる押し引きです。ここは慎重にいきましょう。
会社側から強く迫って書かせた退職届は、あとから強迫を理由に取り消される可能性がありますし(民法96条)、事実と違う説明にもとづいて書かせた場合は錯誤による取消しが問題になることもあります(民法95条)。会社としては、本人の意思で書かれたものかどうかを大切にしておくのが、結局いちばん安全です。
退職の申し出を受けたときは、引き止めるにしても、判断の材料を渡して、本人に決めてもらうという進め方が穏当です。話がこじれそうなときの初動は「労使トラブルの初動と相談先」を参考にしてください。
本人が来ない・書面がもらえないとき
メールやチャットで「辞めます」と送られてくることもあります。書面でなくても意思表示として有効と考えられますが、記録と本人確認のために、可能なら書面(またはメール本文の保存)を残しておきます。届いた日時が分かる形で保管しておけば十分です。
第三者から連絡が来た場合の進め方は「退職代行から連絡が来たときの対応手順」にまとめました。
明日やること(まずはここだけ)
全部を一度に整えなくて大丈夫です。今日できるのは、この3つで十分です。
- 「退職の承諾は誰が行うか」を決める:社長なのか、労務担当なのか。5分で決められて、いちばん効きます。決めたら、上司にあたる人にも共有しておきます。
- 受け取ったときの3点セットを、メモの形にしておく:①受け取った日と受領者、②書面の表題と本文の言い回し、③その場で会社が何と答えたか。この3つを書き留める欄をつくったメモを1枚用意しておけば、次に封筒を差し出されたときに落ち着いて対応できます。
- 退職日を返すときの定型文を用意しておく:上に載せた文面をコピーして、自社の言い方に直しておく。急ぎの場面で文章を考えずにすみます。
これだけで、次の一件はぐっと楽になります。
チェックリスト(コピーして使えます)
退職の申し出を受けたときの確認項目です。上から順に見ていけば、抜けが防げます。
受け取ったとき
- 受け取った日付と受領者を記録したか
- 書面の表題ではなく本文を読み、「お願い」なのか「言い切り」なのかを確かめたか
- その場で承諾と受け取られる返事をしていないか(判断は保留と伝えたか)
- 本人の希望退職日と、最終出勤日の希望を確認したか
- メール・チャットで来た場合、届いた日時が分かる形で保存したか
会社として決めるとき
- 承諾する権限のある人が誰かをはっきりさせたか
- 就業規則の申出期限の定めを確認したか(1か月前など)
- 期間の定めのない雇用は、申入れから2週間で契約が終了すると押さえたか
- 有期契約の場合、期間途中の退職の扱い(民法628条、労基法137条)を確認したか
- 引き継ぎの都合がある場合、責めずに退職日を相談したか
退職日が決まったら
- 退職日を書面かメールで本人に返したか
- 年次有給休暇の残日数を計算し、消化の予定を決めたか
- 最終出勤日・貸与品の返却・引き継ぎの範囲を伝えたか
- 資格喪失、離職票、源泉徴収票、住民税など退職手続きの段取りに着手したか
- 撤回の申し出があった場合、認めるか認めないかを決め、その結論を書面で残したか
- 判断に迷うところは、社会保険労務士や労働局の相談窓口に確認したか
期限まわりをまとめて見渡したいときは「入社・退職の手続き期限 計算機」も使えます。
よければ、こちらも
退職の申し出を受けたあとの実務は、ここから一気に広がります。全体の段取りは「退職手続きの流れ|離職票・資格喪失・源泉徴収票の段取り」、社会保険の抜き方は「資格喪失届の提出期限と退職日の関係」で確認できます。退職後の健康保険をどう案内するかは「退職後の健康保険|任意継続・国保・扶養の選び方」、有期契約の人の場合は「有期契約の更新・雇止め・無期転換ルール」が役立ちます。会社から辞めてもらう場面との違いは「解雇予告と解雇予告手当の計算・手続き」で整理しました。1年分の手続きを見渡したいときは「ひとり労務の年間スケジュール」もどうぞ(記事一覧)。 人事・労務の実務のヒントは、メールでも受け取れます。よければ登録して、日々の手続きの段取りに役立ててください。

退職の申し出を受け取る日は、事務の手間よりも先に、気持ちのほうが動きます。引き止めたい気持ち、送り出したい気持ち、これからの人繰りの不安。それが同時に来るのだから、手が止まるのは自然なことです。
そのうえで、覚えておくのは多くありません。受け取った日を書き留める。表題ではなく中身を読む。退職日を書面で返す。この3つができていれば、撤回の申し出が来ても、日程がずれても、落ち着いて対応できます。判断に迷うところは、あとから専門家に聞けば大丈夫です。ひとりで即断しなくていい場面です。
辞めていく人にとって、最後の何週間かの扱われ方は、その会社の記憶としてずっと残ります。丁寧に書面を整え、期日をきちんと伝える——地味ですが、いちばん誠実さが伝わる仕事です。今日ここを調べたあなたの手つきは、確かに誰かに届いています。
本記事は一般的な実務情報です。退職の意思表示の法的な性質(合意解約の申込みか辞職か)、撤回の可否、承諾の権限、退職日の確定は、書面の文言・そのときのやりとり・就業規則の定め・個別の事情によって判断が分かれることがあります。実際の対応にあたっては、就業規則の内容を確認のうえ、社会保険労務士・弁護士、都道府県労働局の総合労働相談コーナーなど専門の窓口にご相談ください。