社長から手当の廃止を相談され、就業規則の条文と給与台帳を机に並べて、どう進めればいいか落ち着いて考えている中小企業のひとり労務担当者

就業規則の不利益変更|同意の取り方と合理性を判断する5つの視点

「この住宅手当、来月からなくしたいんだけど、就業規則を直せばいけるよね?」

社長からそう言われた瞬間、頭の中で警報が鳴った——そんな経験はありませんか。就業規則は会社が作るものだから、直せば済むような気もする。でも、なんとなく「勝手に下げたらまずいはず」という感覚もある。かといって、その場で「できません」とも言いにくい。担当が自分ひとりだと、相談する相手もいないまま、月曜の朝までに答えを出さなければいけなかったりします。

まずお伝えしたいのは、労働条件を下げる変更は「できない」わけではなく、「進め方が決まっている」だけということです。道すじは2つしかありません。そこさえ分かれば、社長にも「こう進めましょう」と落ち着いて説明できるようになります。

この記事では、就業規則の不利益変更の考え方と手順を、ひとり労務の目線で順番に整理していきます。

結論:労働条件を下げる方向に就業規則を変えるときの道すじは2つです。①一人ひとりから合意をもらう(労働契約法8条。合意なく就業規則の変更だけで不利益に変えることはできない=同9条)。②合意がなくても、変更に「合理性」があり、かつ変更後の就業規則を全員に「周知」していれば、変更後の内容が労働条件になる(同10条)。合理性は、⑴労働者が受ける不利益の程度 ⑵労働条件を変更する必要性 ⑶変更後の内容の相当性 ⑷労働組合等との交渉の状況 ⑸その他の事情——の5つの視点から総合的に判断されます。賃金や退職金といった重要な条件を下げるときは、裁判例上「高度の必要性に基づいた合理的な内容」が求められると考えられており、経過措置・代償措置が実務上のカギになります。同意をもらう場合も、署名さえあればよいわけではなく、不利益の中身をきちんと説明したうえでの自由な意思による同意であることが大切です(最高裁 平成28年2月19日判決の考え方)。そのうえで、過半数代表者からの意見聴取 → 労基署への届出 → 周知という手続は、通常の変更と同じように必要です。

進めるときは、次の順番だと迷いにくくなります。

  1. 何を、いくら下げるのか(新旧対照)と、誰にいくら影響するのかを紙に出す
  2. なぜ今変える必要があるのかを、社長の言葉から3行にまとめる
  3. 下げ幅をやわらげる手(段階的に下げる・代わりの手当を出す)を用意してから、説明の場を持つ

何が起きているか:下げる方向のときだけ、ブレーキがかかる

就業規則は、基本的に会社が作って、会社が変えられるものです。それなのに、下げる方向の変更にだけ手続が求められるのは、働く人が「聞いていない間に条件が下がっていた」という状態にならないようにするためです。

労働契約法の条文でいうと、こうなっています。

つまり、「合意の道」と「合理性の道」の2本立てです。どちらか一方だけが正解ということはなく、実務では「まず合意を目指し、それでも足並みがそろわないときに合理性の道を検討する」という進め方が多くなります。

就業規則で労働条件を下げるときの2つの道すじ(一人ひとりの合意をもらう道と、合理性を確かめて周知する道)を左右に並べた概念図
下げる変更の道すじは2つ。合意でいくか、合理性+周知でいくか

そもそも、どんな変更が「不利益変更」になるのか

線引きで迷いやすいところなので、よくあるものを並べておきます。

不利益変更にあたりやすいもの

そこまで気にしなくてよいことが多いもの

ただし最後のひとつは注意が必要です。「明文化しただけ」のつもりでも、実際の運用より低い内容で書いてしまうと、そこは実質的な引下げになります。書く前に、いまの運用がどうなっているかを確かめるのが安全です。

就業規則を変えても動かない条件がある

見落としやすいのがここです。労働契約法10条には、「就業規則の変更によっては変更されない労働条件」として個別に合意していた部分は、この限りでないというただし書きがあります。

具体的には、こんなケースです。

こうした場合、就業規則だけを変えても、その人の条件は自動では下がりません。労働協約が絡むときは、組合との交渉が別に必要になります。変更を検討するときは、就業規則だけでなく、雇用契約書と労働協約も一度見に行ってください。

具体例:合理性を「5つの視点」で自己点検してみる

労働契約法10条が挙げている5つの視点は、条文だけ読むと抽象的です。実務で使えるように、「どこを見られるのか」「こちらから手を打てることは何か」に置き換えてみます。

視点見られるところこちらから打てる手
⑴ 不利益の程度誰が、月いくら・年いくら下がるか。退職金なら生涯でいくら変わるか下げ幅を小さくする/対象を絞る/上限を設ける
⑵ 変更の必要性なぜ今変えるのか。経営状況、制度の矛盾、法令対応など数字や資料で説明できる形にしておく
⑶ 変更後の内容の相当性下げたあとの水準は妥当か。急に落としていないか経過措置(段階的に下げる)・代償措置(調整手当など)
⑷ 交渉の状況従業員側とどれだけ話し合ったか説明会を開く/質問を受ける/やりとりを記録に残す
⑸ その他の事情他の従業員の受け止め、同業他社の水準など説明資料に一般的な水準の情報を添える

とくに⑶と⑷は、ひとり労務でも今日から手が打てるところです。逆にここが空欄のまま進むと、あとから「必要性はあったのに、進め方で引っかかった」ということになりかねません。

なお、賃金や退職金のような、生活に直結する重要な労働条件を下げる場合には、裁判例上、それを受け入れてもらうだけの「高度の必要性に基づいた合理的な内容」が求められると考えられています。手当の廃止と休憩室のルール変更が同じ重さで見られるわけではない、と理解しておくと感覚がつかめると思います。

具体例:住宅手当(月10,000円)を廃止したいと言われたら

従業員15人の会社で、住宅手当を受けている人が8人。単純に廃止すると、8人が月10,000円、年間で1人12万円、会社全体で年96万円の引下げになります。

この数字を出したうえで、こんな形に組み替えていきます。

  1. 影響を数える…対象8人、1人あたり月10,000円/年120,000円、全体で年960,000円。まずこの1枚を作る
  2. 必要性を言葉にする…「家賃補助という形が、在宅勤務が増えた今の働き方と合わなくなった」「浮いた原資を基本給と賞与の原資に振り向けたい」など、社長の意図を3行で書き出す
  3. 経過措置を置く…1年目は月5,000円、2年目から0円。いきなりゼロにしない
  4. 代償措置を考える…基本給の一部に組み入れる、通勤手当の上限を上げる、別の手当を新設する、など
  5. 説明の場を持つ…全員に集まってもらい、上の1〜4を紙にして配る。その場で出た質問と回答をメモに残す
  6. 同意書をもらう…変更内容と、その人がいくら影響を受けるかを書いた書面とセットで、署名・日付をもらう

「原資を別のところに振り向ける」という形にできると、⑶の相当性の説明がぐっとしやすくなります。下げっぱなしにしない工夫が、そのまま合理性の材料になると考えてください。

同意をもらうときに、いちばん大事なこと

同意書に署名をもらえば安心、と思いたくなるところですが、ここはひと手間かけたいところです。

最高裁は、就業規則の変更に対する労働者の同意について、署名があるかどうかだけでなく、その同意に至った経緯や、会社から労働者への情報提供・説明の内容に照らして、労働者の自由な意思に基づくものと認められる合理的な理由が客観的にあるかという観点からも判断すべきだ、という考え方を示しています(平成28年2月19日判決)。

裏を返せば、次のような進め方をしていれば、同意の重みは自然と増していきます。

同意しない人が出ても、責めないでください。それは手続がきちんと機能している証拠でもあります。その場合は、合理性の道(10条)で進められるかを、内容を練り直したうえで検討することになります。

影響:外しやすいのは「説明の記録」と「周知」

どれも、進める前にひと手間かけておけば防げるものばかりです。とくに説明会のメモは、数分で書ける割に、いちばん効いてきます。

明日やること(まずはここだけ)

一度に全部やらなくて大丈夫です。明日はこの3つだけ。

  1. 新旧対照を1枚作る…変更したい条文について、「変更前」と「変更後」を左右に並べて書き出す
  2. 影響を受ける人と金額を一覧にする…誰が、月いくら・年いくら下がるか。人数と合計額まで出す
  3. 必要性を社長に聞いて、3行にまとめる…「なぜ今なのか」「ほかに手はないのか」「いつまでにやりたいのか」

この3枚がそろっていれば、社労士に相談するときも、社長に「もう少し時間をください」と伝えるときも、話が早く進みます。まだ変更を決めていない段階でも、この3枚は無駄になりません。

チェックリスト(コピーして使えます)

労働条件を下げる変更を進めるときに、順番に確かめる項目です。

— 繁忙月でも回る「最低ライン版(優先順)」 — 1) 新旧対照と影響額を1枚にする 2) 変更の必要性を3行にまとめる 3) 説明の場を持ち、やりとりを記録に残す 4) 意見聴取 → 労基署への届出 → 周知 を順番に済ませる

— できない時の代替 —

よければ、こちらも

変更が決まったあとの届出・周知の段取りは、別の記事で手順をくわしく整理しています(就業規則を変更したときの届出と周知の手順)。そもそも就業規則を作る義務や、作成から届出までの流れを確かめたいときはこちら(就業規則の作成義務(常時10人以上)と届出の流れ)。賃金や退職金の条件を本体から切り出しておくと、こうした変更のときに動かしやすくなります(賃金規程・退職金規程は本則と分ける?分けるときの考え方)。

人事・労務の実務のヒントは、メールでも受け取れます。よければ登録して、規程まわりの見直しに役立ててください。

新旧対照と説明資料を整え終えて、肩の力が抜けて穏やかな表情を見せている中小企業のひとり労務担当者
手順が見えれば、下げる話も落ち着いて進められます。あなたのその慎重さが、みんなを守っています

労働条件を下げる話は、進めるほうも気が重いものです。数字を並べながら、「これを伝えたら、あの人はどう思うだろう」と考えてしまう。その気の重さは、あなたが従業員一人ひとりの顔を思い浮かべながら仕事をしている証拠だと思います。

覚えておくのは、ひとつだけで大丈夫です。「合意でいくか、合理性+周知でいくか」。この2本の道と、下げっぱなしにしないための経過措置。それさえ頭にあれば、社長に「まずこの3枚を作らせてください」と言えます。

そして、この手続はぜんぶ、あとから誰かが困らないためにあります。面倒に見える一つひとつが、実は会社と働く人の両方を守っています。急がなくて大丈夫です。今日、道すじが2つあると分かったなら、それだけでもう前に進んでいます。


本記事は一般的な実務情報です。就業規則の不利益変更が有効かどうかは、変更の内容・必要性・経過措置の有無・説明や交渉の経過など、個別の事情によって判断が分かれます。実際に進めるにあたっては、社会保険労務士・弁護士や、所轄の労働基準監督署の最新の案内を確認のうえ、必要に応じてご相談ください。

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